12月8日、アジア、太平洋戦争の開戦から、75年を迎えました。旧日本軍の真珠湾攻撃を受けた、米国・ハワイの真珠湾では、米軍の退役軍人らが参列し犠牲者を追悼する慰霊式典の様子が報じられています。

 75年前の日本時間12月8日未明、英国領マレー半島東北端のコタ・バルに密かに接近していた日本陸軍は、現地時間午前1時30分(日本時間午前2時15分)に上陸し海岸線で英印軍と交戦を開始し(マレー作戦)、英国政府に対する宣戦布告前の奇襲によって事実上、3年8か月に及ぶ戦争に突入しました。
 ほぼ時を同じくし、日本海軍航空隊も、日本時間12月8日午前1時30分(ハワイ時間12月7日午前7時)に日太平洋から発進して、日本時間午前3時19分(ハワイ時間午前7時49分)からハワイ・オアフ島にあるアメリカ軍基地に対する奇襲攻撃(真珠湾攻撃)しました。
 その結果、米国側に死者2,345名、負傷者1,347名、計3,692名の被害をもたらしました。
 日本政府は、米英両国に同日付けで「開戦の詔勅」が発して、正式に宣戦布告をしています。日本時間午前4時20分(ワシントン時間12月7日午後2時20分)に、来栖三郎特命全権大使と野村吉三郎大使がコーデル・ハル国務長官に交渉打ち切りを通告し、「対米覚書」を手交しました。真珠湾攻撃後の手交となっていました。また、英国には12月8日午前7時半、ロバート・クレーギー駐日大使を外務省に呼び、ハル国務長官に手渡したのと同文の対米覚書の写しを手渡しました。さらに、オランダ同日、は日本に宣戦布告を発し、フランスも戦闘に加わりました。
 これらの戦闘を契機に、アジア・太平洋戦争(大東亜戦争)が開始され、これにより満州事変以降、東アジアで行われた侵略の戦火が太平洋全域に広がることになりました。日本人だけでも、戦闘員174万人余り、民間人39万人余り、他国民を加えると2,000万人を超えるともいわれる、尊い命が無残に失われました。
 アジア・太平洋戦争は、国内各都市への無差別空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下、ソ連による中立条約を一方的に破棄しての侵攻により、数多くの民間人の犠牲を伴って、1945年8月に終結します。この戦争は日本と日本人、そして世界秩序にも現在まで大きな影響を残しています。
 「75年」は人の一生にほぼ匹敵する歳月です。開戦75年にあたり、日本は大きな転換点を迎えています。またさらに、開戦から75年をさかのぼると、1866年(慶応二年)、明治維新の前々年にあたります。同年3月には、薩長同盟の成立と寺田屋事件(坂本龍馬暗殺)があり、日本は欧米に追い付くべく近代化を進める大きな契機となった年です。近代化を目指した中央集権官僚制と軍国主義が、行き着くところまで行き着いてしまった発火点と、1941年の米英開戦は位置付くでしょう。

 今月下旬に戦後の日本の首相として初めて、安倍晋三首相がハワイを訪れ、バラク、オバマ大統領と共に真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊することとなりました。この機会を踏まえ、未来志向を展望すべく、戦争を含む歴史を振り返ることの意義に想いをはせています。
 私たちは、自由主義、民主主義、市場主義、地域主義、個人主義を基調とした、自由・自主・自律の精神のもと、国民の選択の自由、政府からの自由、内心の自由を守り、人々がのびのびと個性を活かすことのできる社会の実現を目指して、結党以来、2年余り、取り組みを進めてきました。
 これらの人類が近代以降、共有し、時に血を流しても守り抜いてきた価値が、ないがしろにされ、人命とともに破壊尽くされるのが、戦争にほかなりません。
 米英開戦75年にあたり、改めて地域政党「自由を守る会」は、人を、家族を、郷土を、日本を、地球を愛するがゆえに、国・地方を問わず、政治・政府に意見を述べ、提言し、批判することができる仲間が集い、助け合い、行動する自由を守ることを表明します。

 自由なくして平和なし、自由こそ命を守る強さの源泉であることを、アジア太平洋戦争開戦75年にあたり、改めて確認するものです。

以上

2016(平成28)年12月9日
地域政党 自由を守る会