井上和雄
所属元衆議院議員2期
生年月日1952年4月24日
出身校東京大学卒業、東京大学院修士課程修了、オレゴン大学教育学修士修了、コロンビア大学大学院国際教育博士課程留学

ご挨拶

略歴

【略歴】

東京都文京区生まれ。1965年に東京教育大学附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1971年に東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。

高校の同期には、石田徹(元資源エネルギー庁長官)、川又雄二郎(数学者)、越澤明(都市工学者)、佐野一彦(イラストレーター)、津田真男(モスクワオリンピック・シングルスカル日本代表)、林己知夫(建築家)、村上誠一郎(衆議院議員)などがいる。

東京大学卒業。東京大学院修士課程修了後、渡米しアメリカのオレゴン大学教育学修士修了、コロンビア大学大学院国際教育博士課程留学。その後、国際連合に奉職。ユニセフ職員としてインドやニューヨーク本部など各地で勤務。1993年に井上ノエミ(現自由を守る会墨田区議会議員)とニューヨークで結婚。

現在は、国際開発コンサルタントとして、アジア、アフリカ諸国でソーシャルベンチャー、BOPビジネス育成に従事。

 

【家族・親族】

曾叔父に、明治大学の創設者である岸本辰雄がいる。明治大学の前身である明治法律学校の駿河台校舎は、岸本の義父である高祖父が、資金集めに苦労していた自分の婿のために当時の三千円を寄付して明治16年に建設された。このエピソードは、日本テレビ「おもいッきりテレビ」紹介された。また、観世流謡曲の愛好家であった高祖父は、親類の関根家と共に明治維新により徳川家の後ろ盾を失った観世宗家を支援した。そのため現在でも観世流の能楽師には、関根祥六を筆頭として一族の者が多い。

また、別の高祖父は、江戸時代、千住の接骨医として高名であった名倉家の四代目名倉与一である。初代名倉弥次兵衛直賢(1750年-1827年)は、森鴎外の小説「寿阿弥の手紙」、「渋江抽斎」に名医として登場する。祖父のいとこにあたる六代目の名倉重雄(東京厚生年金病院初代院長)は、名古屋帝国大学教授として汪兆銘の治療にあたり、また、夫人は高橋是清の孫娘恭である。現在でも多くの接骨院は名倉の名称を継承している。