東京都知事、国会議員、運輸相、環境庁長官を歴任された石原慎太郎氏が昨日逝去されました。

2017年2月22日豊洲市場移転問題に関する調査特別委員会が設置、いわゆる「百条委員会」に引っ張り出された時も泰然自若、威風堂々とされた姿は忘れられません。

賛否はあれど強靭な知性のもと確立した国家感と矜持を持たれた政治家であり、日本を代表する作家であられました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

【市井の母親でしかなかった上田が、「石原都知事と議論する会」に参加】

22年前の2000年2月、保育園待機児童であった次男がまだ0歳児だった頃に「~東京ビッグトーク~石原知事と議論する会 今、子どもたちに居場所は?家庭・学校・地域は機能しているか ~心の東京革命~」公募に申し込んだところなんと審査通過し、知事となってまだ1年もたたない石原知事に子育て支援について話す機会を得ました。

都立九段高校の体育館で開催され、入り口では歓迎のため高校生も待ち受けていました。「知事が来たら裕次郎!ボス!の兄さん!とか声かけてみようか」などと、はしゃいでいましたが、石原知事が入ってきたとたんその堂々たる存在感に威圧されシーンとしてしまったこと、若者もホンモノには畏敬の念を抱くのだなと苦笑した強烈な思い出があります。男尊女卑な昭和の男性イメージがありましたが、真摯で知的な孤高の政治家と感服したものです。

 

【都認証保育所の生みの親は石原都知事】

女子どもの敵!といわれなくもなかった政治家であったかもしれませんが、保育園待機児童問題の国の動きが遅すぎる!と株式会社等参入を促し東京都認証保育所を政府に先んじて待機児童解消策を推進し、多くの受け皿を作ってくれました。排ガス規制もやりきった環境派でもあり、長男の喘息も改善し多くの保護者も感謝したものです。「タカ派」といわれながらも、子育て支援策、環境施策まで手掛けた石原知事は、文学者としての石原作品の底流となるにある実存的な「人間」への視座が政治へも反映されていたと考えるものです。

 

【保育園第三者評価を始めたのも石原知事】

共産党・日教組など左派による「民間に任すと保育の質が劣る!」という根拠不明の批判をものともせず、民間参入を促すと同時に保育の質担保のための保育園第三者評価を始めたのも彼でした。

福祉現場はノータッチで誰も手が付けられず利用者は文句も言えずトラブルがあっても泣き寝入りするアンタッチャブルな風土に風穴をあけ、やがて福祉全般の外部評価につながっていったのです。

 

【災害時に備えた「ランニングストック(流通在庫備蓄)」制度を始めたのも石原知事】

災害備品(ことに食料品等)を大量に購入して期限等がきて廃棄することを憂い、民間から市場価格で買い取ることを約束し、物資を市場で流通する形で備蓄する画期的な方式を採用されました。

 

【公会計制度導入のきっかけを作り財政健全化にかじを切ったのも石原都知事】

一橋大学を正真正銘「卒業」していたことから財務を熟知され、民間と役所の会計があまりに違うこと、バランスシートの感覚の欠如をいち早く指摘。国に対峙して強力に進めた東京都公会計制度導入は全国自治体のさきがけとなりました。美濃部都政以降悪化した都財政が大幅に改善され、約1兆円近く積み上げた都の貯金(財政調整基金)は、小池都政で激減。石原知事時代新銀行東京で400億出資し、知事不信任案が出る等批判は免れなかったかもしれませんが、これに比べれば小池都政で数千億失ったことがいかにケタ違いの損失かわかります。

 

【都営住宅世襲居住を禁じたのも石原知事】

血税が注ぎ込まれる都営住宅につき同一世帯が平均25年以上住み続け、若年世帯が入れない不公平を指摘してきましたが、その先陣を切って、どの政治背視力も看過していた無条件に親子代々住み続ける都営住宅の実態にメスを入れ世襲を禁じた上に、都市整備局に一元化してくれたのも石原知事でした。

2004年4月1日に都市計画局、住宅局、建設局市街地整備部及び多摩ニュータウン事業部が再編統合されて、都市整備局にしたというのに、小池知事では政策協定を結ぶ政党に忖度をしたのか、再び「住宅政策本部」を作り既得権者擁護に戻してしまいました。

 

【石原知事と小池知事の“特別秘書”の大きな違い】

「百条委員会に石原を引っ張りだせ!」というのが当時の小池知事特別秘書、都民ファーストの会代表野田数(現東京水道社長)氏の大命題でした。本気で百条委員会をやるのであれば、弁護士等法と条例の専門家を雇って政調体制強化すべきなのに、私も含めた“ファーストペンギン”への司令は、「浜渦つぶせ」の野田秘書直筆メモが来ただけでした。一方、石原知事特別秘書と副知事を歴任した浜渦武生氏はメモも見ずに百条委をやりきりました。

実力も胆力も桁違いの二人の“特別秘書”の姿に、百条委員会を傍聴しながら私は失笑していました。

 

【石原慎太郎氏の魂の安らかなることを祈って】

東京都公式ホームページに掲載された小池知事の石原慎太郎元都知事の追悼文は、木で鼻をくくったまるで定型文でした。評価はわかれども多方面に偉大なる足跡を残した、知事としても政治家としても大先輩石原慎太郎氏への尊敬の念も心もこもってない内容は、いい意味で期待を裏切らず「小池百合子」という人間性が奇しくも著われているのであります。

「都民ファーストの会」の立ち上げメンバーとして小池知事誕生にかかわっていた上田としては、小池氏が石原氏に確執する理由が、手に取るようにわかるように思いました。

器があまりにも違うのに過去の恨みをずっと引きずって石原慎太郎氏を貶めることに、快感を抱いていたのしょう。彼女が、百条委員会を強引に石原氏を開き引っ張りだしたことを私は裏側から見ていたのでよくわかります。

それもある意味哀れなことです。冒涜によって自分は浮かび上がらない、絶対的な能力の違いは努力によってしか追い越せないのですから。

 

百条委員会への出席を実力派議員として、都民に期待されましたし、メディアにも登場することは2017年都議会議員選挙前に目立って、マウントできて好都合なことだったかもしれませんが、かようなことから私は委員を引き受けませんでした。

 

実は最初に石原元知事が掲げていた「東京大改革」の偉大なるバトンを引き継ぎ、焦土から立ち上がった東京、戦後の混乱期を泣き笑いしながら働いて納税してくれてきた都民を、自らの野心・政治生命ファーストで都民を、都政を踏み台にする「「シン・トセイ」と云う名の税喰いゴジラ」と闘ってまいることを、都民と故石原氏にお誓い申し上げます。