10万人余りの無辜なる人々が一夜にして命を奪われた東京大空襲、そして2万1000人を超える死者・行方不明者の被害となりました東日本大震災で失われた尊い御霊に心より哀悼の意を表します。

 本日、3月11日で、東日本大震災・東京電力福島第一原子力発電所事故から、5年を迎えます。
 この震災で、警察庁の今月10日までのまとめによりますと、これまでに死亡が確認された人は12の都道県の合わせて1万5894人、行方不明者は6つの県の合わせて2561人を数えます。
私たちが住む東京都内では、建物の崩壊等で7名が死亡、少なくとも117名が負傷、数多くの帰宅困難者が厳しい寒さの中、発生しました。関東地方では、津波によるものを中心に合わせて61人が死亡し、3人が行方不明になりました。
また、復興庁によれば、避難生活による体調の悪化等で亡くなったいわゆる「震災関連死」は、10の都県で少なくとも合わせて3407人に上り、震災による犠牲者は、「関連死」を含めますと2万1000人を超えています。
現在、仮設住宅やみなし仮設住宅等で避難生活を余儀なくされている方々は、先月12日の復興庁のまとめによると、17万4000人余りとなっています。自主避難を含め、関東地方の1都6県でも、2万6866人(東京都内には6876人)に上ります。
これらの避難者は、昨年3月に比べると2322人減りましたが、5年を経てもご苦労をされている方々の多さに驚かされるとともに、心よりのお見舞いを申し上げます。

 国の「集中復興期間」は今月で終了し、新年度からは復興・創生期間に入ります。しかし、避難生活者の多さに加え、被災地では、住宅の建設や防潮堤や道路・鉄道等のインフラの整備、除染が当初の計画より遅れています。原発の廃炉には、40年以上が見込まれ、放射性廃棄物の最終処分先は決まっていません。
このような復興の遅れを見るにつけ、この災害による未曽有の被害は、現在進行形であると、断ぜざるを得ません。

 私たち「自由を守る会」は、震災から3年余りを経た後に、結成されました。
自由主義、民主主義、市場主義、地域主義、個人主義を基調とした、自由・自主・自律の精神のもと、国民の選択の自由、政府からの自由、内心の自由を守り、人々がのびのびと個性を活かすことのできる社会の実現を目指す、自立した国民が結集して組織する地域政党です。
戦後71年、東日本大震災からは5年が経ちました。政治は本来、人々の生活を守るために存在します。しかしながら、せっかく大正デモクラシーを経て民主的な気運が醸成されたというのに、その反動から坂道が転がるように第二次世界対戦に突入していきました。常に日本の政治は、統制か革新かの極端な振り子に揺れ続けてきました。
政権交代がなされたのに、発災時からの民主党・国民新党の連立政権の対応は目を覆うものでした。その後の復興支援に名を借りた公共事業、利益誘導政策を打ち出す現自民党・公明党連立政権に憤りを持つ被災者も少なくありません。
21年前の阪神・淡路大震災では、自民党・社民党・さきがけ連立政権の自衛隊派遣を含む初動のもたつきにより、被害を甚大化させ、多くの人命が失われたことに想いがいたる方も少なくないでしょう。これに対し、東日本大震災発生直後の午後3時10分、官房長官に自衛隊派遣を要請した、宮城県の村井嘉浩知事の即応ぶりは、「地方からの声」として括目され、後世に語り継がれるべきものです。
政治が判断を誤れば、常に犠牲になるのは、日々を慎ましく、ささやかな心の安寧を求め生きる人々であります。
だからこそ、イデオロギーやプロパガンダ、組織防衛…あらゆるものより優先されるのは生きる自由、命であると私たちは考えます。
自由を守る会は、今の日本では稀有な存在となった、地域住民最優先の自由主義的地域政党です。
常に、地域の声に耳を傾け、守るべきものを守るために改革をし、人々の命と自由を守ることを東京大空襲と東日本大震災を振り返る日にあたり、改めてお約束いたします。
一日も早い復興と生活の回復を願い、引き続き、全力で取り組んでまいります。

2016(平成28)年3月11日
自由を守る会代表 上田令子